天児屋根命による神ながらの道と成功法則

随想日記

随想日記

平成29/8/26/

[念呪療法]
今日から、思いつくまま、気楽にノートの代わりのメモ帳として、随想日記と題して書き記していきます。

真理に向かっての思考の糧として、気ままに書き残したいと思ったからです。

よろしかったらご笑覧ください。

最近、たまたま、田中実先生というお医者さんのブログで<念呪療法>というたいへん衝撃的で興味深い記事に出会いました。<念呪>という心ないし念が病気治療にきわめて有効なのだという考えです。

西洋のかなり唯物論的科学を基盤としている西洋医学を学んだお医者さんにもとうとうこんなスゴイお医者さんが現れる時代に入ったの
かと驚いています。

これは、一つには、当然といえば当然のことなのですが、西洋医学という唯物論的医学が行き詰りを見せているということ、それと、現在の最先端科学である量子力学の発見ー素粒子のレベルでは、観測[精神]の波動と物質[肉体]の波動とが影響しあっているーとは、どうも無関係ではないように思います。

平成29/8/27/

「幸福のパラドックス」

どうやら宇宙は「タライの法則」とそっくりの法則で出来ているようです。

どういうことか。

タライの水はこれを押しやるとすぐ戻って来てしまいます。

ところが、水を手前に引き寄せると、直ちに左右に去っていきます。

同じ様に、嫌なこと、禍事、病氣、貧乏 、災害、不運などが襲ってきたら、これをわが心の中で積極的に引き受けると、ますますそのような嫌なことが増幅すると思いきや、ところがどっこい、そのような嫌な禍事が、あら不思議、ドンドン左右に消え去っていくのです。

何故なのか?

それは、肉体我、つまり自我から見れば、この世の不思議で、これを 別言すれば、<真理は常に逆説的である。それ以外に真理を表現する方法がないからです>ということです。

禍福は糾(あざな)える縄の如し、という格言がありますが、その通り なのです。禍福、善悪、幸不幸の二つがあるのではなく、それらは二つで一つなのです。

ところが、禍いは嫌だ、悪いものは嫌だ、不幸は嫌だと押しやると押しやっている限り、それらから来る苦しみはその分長引くのです。タライの法則通り、禍福、善悪、幸不幸を糾える縄の如しとしてその嫌なことを積極的に引き受けると、あら不思議、それらの闇を引き受けることで、いのちの世界では光に変わり、そのまま不可視の世界にかえってゆくのです。

その理由、それは、ここ宇宙は、本来、本源としては「一なる無極にして太極の世界」として出来ているからです。

闇と光は陰陽一体、表裏一体として一体なので、闇を引き入れると闇は光に変わるほかはないのだ、と言ったらわかりよいでしょうか?

「闇を引き入れると闇がなくなる」ということはそうとしか考えられないわけです。

ですから、災い、不幸を嫌だ嫌だと悪いものを押しやり拒否をする限り、それは「善悪を知る木の実」を食べたことになって、エデンの園(地上天国)から追い出されてしまうのです。

陰陽一如、善悪一如、禍福一如、であるので幸不幸一如の「一に止まる」のが正念だということです。

これが、かの白隠禅師の言う「一に止まる正念」ということです。このことは、前回の田中実先生 のブログで知りました。

これでこそ「正念場」の本来の意味もよく分かります。

そこが仏教の教えの八正道のなかのまさに「正念」なのです。

ですから、善悪、幸不幸、禍福の二元論は誤りで、間違いなのです。その二元論を聖書では「善悪を知る木の実」と言ったのです。

だからこそ、人類の先祖であるアダムとイブは「天国状態のエデンの園」から、四苦八苦に満ちたこの世を生きるようになった、というわけです。

でもたいがいの方々は、この二元論の世界に生きていますので、普段、この世を大変苦しい思いで生きておられると思います。一刻もはやくこの二元論の誤りに気づいて欲しいと思います。

先の「一なる正念場に止まる」ことこそが、その創意工夫こそが生きる秘訣になるんですね。

それにしても、このことをよく分かって作った曲が、実はビートルズのヒット曲「レットイットビー」(Let it be)だったんですね。そのままでいい、という趣旨の歌詞です。

赤塚不二夫の漫画のセリフ「これでよいのだ!それでいいのだ!」も同じ深い哲学が込められています。

勇気を持って「あざなえる二つの縄」を、必要、必然、それでいいのだ!としっかりと認識し、積極的に引き受けることです。

そうすると、闇は光に変わるのです。

それが「無極にして太極の生命の世界」なのです。

第一に、そのトラウマのような記憶は、観察され認識されることによって消えていきます。

自観法が有効なのも同じ理由です。精神分析学ではよく知られている事実です。

だけでなく、そこで、いろんな学びと気づきが起こり成長できるようになっています。

こうして、「学びと成長」こそが永遠の魂が辿るべき道なのだ、という宇宙の摂理と愛とがだんだん理解できるようになるのだと思います。

それにしても、永遠の魂が永遠に「学びと成長」の道を辿っていくとしたら、一体どこにゆき着くのでしょうか。

ひょっとしたら、ヒマラヤ聖者や聖イエスなどの神のような奇跡の人なのかもしれないです。

いやきっとそうなのでしょう。

古神道でも、人は神から生まれて、元来た神に帰っていくのだ、と伝えています。

これこそが古来からの「人はどこから来てどこへ行くのか」という画家ゴーギャンによって代表される人々の一大疑問への答えだと思います。

どうやら、神(いのち)から生まれて、元来た神(いのち)へと帰ってゆく神(いのち)一元の世界が宇宙の実相のようです。

今、そのいのちがあなたとして生きているのです。

今現に、いのちがあなたを生きています。(東本願寺の掲示板の文言)

だからこそ、闇を積極的に引き受ければ光に変えることができるのです。

何もわからない、無知な肉体の自我には不思議でも、それがいのちの真我の力だと思います。

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