アメノコヤネによる神ながらの道と成功法則

第3回  現実というもののカラクリ

第3回  現実というもののカラクリ

第三回  現実というもののカラクリ

あらためて申し上げておきます。

皆さんがこのブログを読んで求めているのは、あくまで現実の難し

い問題の解決の方法ですよね。

私もそのつもりでこのブログを書いています。

少なくともそこを目指しています。

例えば、一日約8~10時間労働、一時間休憩、手取り月12,3万の薄給でボーナスもろくになく退職金も出ない非正規社員の場合の問題解決は、同じ労働条件としても、月収はその倍近く、厚生年金もあり正当な退職金もある正社員になれることでしょう。

そんな問題の解決法が、もしあるなら、誰でも知りたいですよね。

少なくとも、今までより、もっと生活をよくしたい、上司のいじめを解決したい、もっと稼げるようにしたい、もっと異性からモテたい、もっと数学が、現代文が解けるようになりたい、といった現実の問題解決ですよね、何といっても。

わかっています。

それには秘法があるんです。

シークレットがあります。

アラジンが使っていた魔法のランプです。まあ、これは比喩ですが、それに近いもんです。

しかし、その為には、問題解決のための大前提となる、ある程度の考えを知っていなくてはならないのです。

だって、個々に問題解決するときに、「こうして下さいね」と言われた時、「なんでそんなことをするの?」と思って訳が分からないと、まず気持ちが入らないでしょう。力が入らないと思います。

それでは問題解決にはつながらないのです。

この問題解決には、「心の在り方」がとても重要な鍵だからです。

そういうわけで、これまでの第2回まで、少しこむずかしい大前提の真理の話をしました。

これをわかってほしいのです。

それでは第3回目の話に入ります。

では、どうして真我とつながると人生は好転するのでしょうか?

その原理をもう少し探ってみたいと思います。

まず、人の基本的構造を思い出して下さい。

それは、奇魂(いのちの本体)-幸魂(超意識)ー和魂(潜在意識)ー荒魂(肉体および現在意識)でしたね。

そして奇魂から荒魂という皆さんが自覚しているいわゆる自分までが純粋にきれいな状態なら、この世にあってもすべてが完璧にうまくいっている「エデンの園」のはずです。

天になるごとく地にもなる世界です。

順風満帆の世界です。

しかし、和魂の潜在意識には、人類はじまって以来の、いやもっとさかのぼって、宇宙はじまって以来の一切の記憶情報が遺伝子として組み込まれて生まれてきます。

更には、その組み込まれている生まれつきの記憶とともに、この世に生まれ落ちてからの体験とともに蓄積しプログラミングされた記憶情報があるのです。

面倒なのは、潜在意識がもつ創造作用によって、プログラミングされた記憶情報がこの三次元世界に再生されるということなのです。

そのプログラミングされた記憶情報の中のフィルムが、この世という三次元のスクリーンに再生されるようにできているのです。

どうして私にはこんなことが起きるんだろうか?と思うようなことが起きてくるのが現実ではないでしょうか。

誰にとってもです。

量子力学的に言えば、すべて「現実」というものは、潜在意識の心の創造作用でプログラミングされている記憶情報が、量子レベルの波動の海のなかで物質や状況に変化して「現実」となったもののことを言います。

仏教ではこれを「三界は唯心の所現」といいます。

この世はただ心の現す世界だ、というのです。

一方、最先端の科学、量子力学でも、これとほぼ同じ世界観に近づいています。

それが「この世はホログラムの世界」という見方です。

光線を当てると、あたかもそこにあるかのような立体画像が再現されるものをホログラムといいますが、まさにこの世がそうだというわけです。

そういうわけで、仮想現実ともいえるこの世界はただ「心」が表わしている世界ですよ、と仏教は見抜いています。

心とは言っても、主には「潜在意識」を含むその創造する力とメカニズムのことを言っています。

そしてこの私たちの五感と大脳が把握しているこの世は、仮想の現実だというのです。

現在よく知られている「思考は現実化する」という標語は余りにも大雑把すぎますが、当たらずといえども遠からず、といってよいと思います。

要は、心は、量子レベルでは、周囲とも他人ともつながっているので、情報はそこに確実に伝わります。

それで「自分の心のありかた」で周囲も他人も変化していく可能性が大いにあるのです。

現実世界に再生される記憶情報は、多くの場合、ネガテブで苦しい出来事が少なくありません。

そういう意味では「人生は苦」です。

しかし、そのネガテブで苦しい出来事の再生には、実は、意味があります。

それは、本体のいのちの神様から見れば、学びであり、成長の機会であり、その学びの成長によってより良い人生が待っているからです。

だから、困難は神の恵みが形を変えたものである、という言い方もされるのです。

ワンステップ上に登る一つの階段だということです。

しかし、これをただネガティブにとらえ悲しんでばかりで有効な手を打たないと苦しみの悪循環にはまってしまいます。

すなわち、困難やマガゴトが起こったら、それを引き起こしている潜在意識の中の記憶・情報をお祓いし消去すれば消えていくものなのです。

そういう学びのために、必要であったればこそ、その出来事はその人に必然的に起こっているわけで、それをそのまま「これでよいのだ」と受け入れることが大事です。

ただし、「これでよいのだ」と放っておくということではありません。

それを「起こるべくして起こった」こととして、しっかり理解し受け入れ、これを何度でもお祓いし、消去していけばよいのです。

やがて、その困難およびその苦しみはきれいに消えて再生されることはなくなります。

しかし、消去しないと同じ問題が同じマガゴトとして何度でも再生されて「学び」を促されます、消去されるまで。

それも、あなたの為だからです。

次回は、いかにして私たちを苦しめる元凶である記憶情報を消去して、より良い人生にしていくことができるか、について探究します。

 

  

  

コメント


認証コード9651

コメントは管理者の承認後に表示されます。

powered by HAIK 7.2.7
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional