第6回 天児屋根命の伝言2の第一の意味
第6回 天児屋根命の伝言2の第一の意味
第6回 天児屋根命の伝言2の開示
前回、以下のようなことを申し上げました。
「お願いだから」とか「どうか哀れと思召して」とかの哀願や懇願には神は、一切、100%答えません。
その理由は、自分とは何者で、何のためにこの世に生まれているか、を理解したらわかります。
それには深い理由があるからです。
御祈願というものをそんなふうに思っている人は多いと思いますが、残念ながら、それでは「神も仏もあるもんか」という結果しか得ることはできないでしょう。
そこで、なによりも「幸せになる思考」「幸せになる考え方」が不可欠な前提条件になるのです。
そしてこの「幸せになる考え方」で最も大事な前提とは、最近わかかったことですが、私が受けた天児屋根命(あめのこやねのみこと)からの第二の伝言の中にありました。
天児屋根命からのメッセージとは次のようなものです。
二つありますが、一つは「弓前文書」のなかの「神文」というものです。
弓前文書は「神文」と「委細心得」とから成り立っています。
そして神文は四章から成っています。
ここで、各四章四節からなる「神文」の内容の概略は以下のとおりです。
第一章 大宇宙が意図する「神ながらの道」の始まり。
1、宇宙のはじまり
2、太陽のはじまり
3、地球の始まり
4、生物のはじまり
記神代巻の冒頭十七柱の神は、実際にこの「第一章」から採られています。このことは、私の本「古事記と祓い言葉の謎を解く」―伊勢・鹿島・香取・春日の起源――」(萩原継男著、本名)の中の第四章において詳しく論証させていただきました。その本が叢文社という出版社から2016年3月にすでに出版されています。
第2章 大宇宙の意図する「神ながらの道」の移り行き
1、宇宙の移りゆく仕組み
2、天地の移りゆく仕組み
3、生成化育の移りゆく仕組み
4、事物と生物発生の移りゆく仕組み
第三章 大宇宙の意図する「神ながらの道」の法則
1、因果の永久循環運動の法則
2、エントロピー(罪(つみ)穢(けが)れの蓄積)の法則。 日本数詞一二三(ひふみ)の原語がここに書いてあります
3、過去の記憶(覆(を))残存の法則
4、魂が死を境に元(もと)来た所へ帰る法則
第四章 大宇宙が意図する「神ながらの道」への随順の方法
1、物質繁栄の次第とその為の言霊
2、いかにして罪けがれが祓われるかの次第とその為の言霊。
3、過去の記憶を浄化し体内エネルギー充電の次第とその為の言 霊。
4、魂が死を境に元来た所へ帰る次第とその為の言霊
以上の神文の内容の言葉は、すべて弥生語とここで呼んでいる古代語で書かれています。
飛鳥時代、当時の渡来人がそれまでの日本語の音を漢字にして日本語を文字化したのを見て、弓前値名(ゆまあてな)という香取神宮の神職が、漢字に充てて文字化したのです。
以上が天児屋根命の伝言1なのですが、ここでは天児屋根命の伝言2の話をします。
天児屋根命の伝言2とは、次のようなメッセージでした。
「すべては上手くいっています。
早くほんとうの自分を知りなさい。
実は、あなたはいません。」
ここのアメノコヤネからの「すべては上手くいっています」の第一の意味は―――そのままで、誰でも上手くいっているという意味です。
「このまま仮にすべてが一般的に見て上手くいかない人生であっても、<すべてそれでよいのだ。すべてそのままでうまくいくようになっている>のだ」と考える考えです。
それって、どういうことでしょうか?
たとえ、悲惨な一生でこの世を終えたとしても、例えば、ナチスのホロコーストで悲惨な生活のまま殺されて一生を終えたり、或いは普通に成功もなく不幸のままで終わったとしても,それでも、「すべては上手くいっている」と考える考えです。
そうであるためには、人の生は今世のみではなく、永遠の旅路の中にある、という前提があってのことです。
1、人は永遠不滅のいのちの世界にありながら、同時にこの世という影の世界に生まれて己の魂の学びと進化をすすめながら、永遠の旅路の一過程にあるということ(奇御魂を抱きながら荒御魂を生きているということです)。
2、その過程の中で、人は様々な問題や試練を経験し、意識したことが記憶となり、そうした過去の意識があなたが現実と呼ぶものとなって再生されて学ばされているわけです。
その学びから、すべて自分には必要がある出来事というものが起こり、であればこそ、それらは起こるべくして起こったという意味では、必然の出来事であり、従って「これでよいのだ」と受け入れる。
それから元凶である過去の記憶ないし意識を奇御魂の愛と光によって消去していただければ解決される、ということを学びます。
その奇御魂の愛とつながるためには、あなたがまず幸福であること、あなたの愛と許しそして笑いと感謝とがどうしても不可欠なのです。
主導権は常にあくまであなたにあるようにできています
とにかく、そうすれば、あなたが心の底で願望するものはすべてあなたにつけ加えられるでしょう。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えられて与えられる(聖イエスの言葉)」のです。
ですから、結論を言いますと、不遇のうちに一生を終わったとしてもどうであれ、「すべては上手くいっている」ということになるのです。
ただ学びと進化の為に遠回りしている、だけだということです。
人は「神から生まれて神として帰っていく旅」をしているからです。
少し長くなってしまったので、「すべては上手くいっている」という言葉の第二の意味(これはあなたにとって、めったに出会うことのできない福音となるでしょう)は次回にします。ご期待ください。