第7回 天児屋根命の伝言2の第二の意味
第7回 天児屋根命の伝言2の第二の意味
第7回 天児屋根命の伝言2の第二の意味
天児屋根命の伝言2とは、
「すべては上手くいっています。
早くほんとうの自分を知りなさい
実は、あなたと思っているあなたはいません」
というものでした。
それは「早くほんとうの自分」を知って「あなたと思っている限定された自分はいない」ことをよく理解すれば「すべては上手くいく」という話です。
言いかえれば、本当の自分を知れば「すべてが上手くいく」ということです。
さて、ここにも、本当の自分とあなたが自分だと思っている自分という二つの自分が出てきました。
このブログの初めにも二つの自分という自観法の話をしました。
その二つの自分と対応しています。
「あなたがあなたと思っている自分」とはいわゆる自我(荒御魂と和御魂)という自分、「本当の自分」とは「いのちの神という自分」(奇御魂)だとも申しました。
前者は「肉体を含めた生かされている自分、自我ないし肉我」、後者は「生かしている、肉体を完全なものとして生かしているから全知全能の自分、霊我、真我、大霊、大我」と言っています。
皆さんには、どうにかして、この「ほんとうの自分」を理解し知ってほしいと思います。
これを悟り、自覚する人を覚者と言います。
この世を去る前までに、少しでも理解し悟ってほしいと思います。
これを知るだけでも、次の世だけでなく、この世においても、これまでよりもはるかにより良い人生を送れるようになると思います。
あなたの人生とは、あなたの心以上でも以下でもないものだからです。
あなたの意識が拡大し高くなればなるほど、あなたの人生が好転することは間違いありません。
結論から言いましょう。
そのほんとうの自分、その自分とは?
それは、未だかつて生まれたこともなく従って死ぬこともないいのちのことです。
それは誕生したこともなければ死ぬこともない。
始めもなければ終わりもない。
それは、常在にして、変化なく、永遠に生き通しのいのちであり、禅宗で言う「父母未生以前の本来の面目」であり、イエス・キリストが言った「アブラハムが生まれる前から在りて在るもの」であり、全宇宙に広がっていて時間と空間の世界におらず、従って距離の世界にもいません。
聖イエスが「父なる神はあなたの手や足よりも近くにある」と言った時の「内なる神」です。
そのいのちは、一瞬にして宇宙の果てにまで飛ぶことができます(テレポート)
宇宙のすみずみにまで区切りなく区別なく遍在し遍満する実在のいのちだからです。
空気の中にもいかなる物体にも遍在しています。
それは、一つの命、一つの意識だからです。
その一つの命、一つの意識の中で自覚する一ポイントの焦点があなたの実相です。真の姿です。
これがこの世界の実相です。
宇宙空間という一見何もないように見えるところにも、エネルギーと質量があります。
それは、そこにもいのちがあるからです。
だから、「空間が歪む」というアインシュタインの発見もあるわけです。
そして「本当の自分」とは即全て、即宇宙、即万象万物、即全ての人の自分なのです。
「即全ての人が自分」ですから、私はあなた、あなたはわたし、という境地にいます。
従って、人の悪口を言うなどということは自分の悪口を言うことと同じなのです。
信じられますか?
いやいや、そんなことをいきなり言われても、なにがなんだかなあ、と思われたでしょうか。
戸惑い理解しがたい世界ではあります。
無理もありません。
しかし、今はそれでいいと思います。
いつか、やがて分かる時が来ると思います。
心の曇りが少しずつ晴れていけば、いつか真理の光が射して来ます。
これを、もしあなたがもう既に80%もわかっているとしたら、恐らくあなたはこの世には生まれ変わってはいないはずです。
この自覚に到達した人には輪廻転生はない、からです。
「生まれ変わる」などということはありません。
その人は、仏陀や聖イエスのような覚者です。
元女王卑弥呼であったとか、前世はプレアディス星人であったとか、アトランティスで神官であったとかの次元の低い話などはどうでもよい、と思える境地のことです。
50パーセント分かっていても相当な人物になっていることと思います。
実際には、ほとんどの人が「自分は人であり、個人であり、肉体である」という分離、制限、制約された自我意識の中で、あくせくと生きています。
ここのところはよく分かる世界ではないでしょうか。
たいていの人が住む世界だからです。
ほとんどの人が、そういう「自分とは何か」をほんとうには知ることなくこの世に生まれ、分からないままこの世を過ごし、この世を去っていきます。
俳句で有名なインテリの小林一茶でさえ、
「盥(たらい)より
生まれて死ぬまで
チンプンカン」
という句を残し、そういう心境のなかで、この世を去っていきました。
しかし、自分をそういう存在だと思っているかぎり、出てくるものは、ただ欲望だけがふくらみ、未来への不安と心配におびえ、競い合い、奪い合う生活を余儀なくさせられる自我の人生でありましょう。
従って、もしそうであるなら、どうしても怒り、憎しみ、恨み、ねたみなどのネガティブマインドに傾きやすく、病気も事故も発生しやすい低波動に生きるということになります。
いまだに、世界のどこかで戦争がやまないのも、そういう分離している自我意識のレベルに人類がとどまっているからです。
あなたに宿るいのちは、実は、奇御魂(くしみたま)という万物に宿る神であり、聖イエスのいう「父なる神」であり、全知全能の存在です。
人類の意識が分離感の誤った自我意識のまま、危険な科学技術の極みにたって人類が行きづまり存亡の危機にさらされている今だからこそ、ついにこういう究極の真理が明かされる時がきたのだ、と思っています。
さて、とにかく、あなたという自我は、はっきり言って、無知無能です。
食べた食物をどう消化しどう配分してよいかすらも分からない。
まして「自分とは何か」については、自分の自我以外、知るよしもありません。
おそらく、こんな自覚をしっかり持っている人など全人類の2,3パーセントにも満たないかもしれません。
しかし そういう自我は、あくまで幻の、仮の自分であって、本来、非実在のものです。
それが天児屋根の伝言2における「実は、あなたはいません」という本当の意味です。
「ほんとうの自分」は、神にふさわしく「無限のいのち、無限の愛、許し」であり「嬉しい、楽しい、有難い、笑いの世界」に在ります。
実相の世界では、あなたはいつも「いい気分・喜びに満ちた神のような心地」の中にいます。
ですので、「ほんとうの自分」への瞑想を通して、これをしっかり自覚することがあなたの人生における、また真の世界の平和にとっての天下の一大事なのです。
次に、できるだけ「ほんとうの自分」にふさわしい愛と許しの心を出すことによって、宇宙の中心にある愛という本源へのその呼び水で、ますます「ほんとうの自分」と一つに繋がっていくことができていきます。
その時、一切が好転していくと思います。